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高松高等裁判所 昭和50年(行コ)10号 判決

控訴人(附帯控訴人)

社会保険庁長官

北川力夫

右指定代理人

岸本隆男

外六名

被控訴人(附帯控訴人)

黒瀬輝子

右訴訟代理人

林伸豪

外一名

主文

本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

控訴(附帯被控訴)代理人は、「原判決中、控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という)敗訴の部分を取消す。被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という)の本件訴を却下する。仮りに右訴の却下の申立が認められないときは、被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決、並びに被控訴人の附帯控訴につき、「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決、並びに、附帯控訴につき、「原判決中の主文第二項を取消す。控訴人は被控訴人に対し、遺族年金支給開始年月たる昭和四五年一月現在における支給すべき年金額四九万六六〇〇円と決定しなければならない。」との判決を求めた。

当事者の事実上法律上の主張、提出援用した証拠認否は、次に附加する外は、原判決事実摘示の通りであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一  (本件標準報酬額決定に対する被控訴人の不服申立権)

被控訴人には、次に述べる通り、本件標準報酬額決定に対する不服申立権はない。

(一)  船員保険法(以下、法ともいう)六三条一項にいう「標準報酬に関する処分に不服ある者」の範囲について。

そもそも、法律が行政庁のなした行政処分に対する不服申立ての制度を定め(行政不服審査法一条)、また、行政事件訴訟法が行政処分の取消等を求める訴えを提起することを認めているのは、公権力の主体たる国、または、公共団体がその行為によつて国民の権利義務を形成し、或いは、その範囲を確定することが法律上認められている場合に、具体的行為によつて権利を侵害された者のために、簡易迅速に国民の権利ないし利益の救済を図り、或いは、当該処分の違法を主張せしめてその効力を失わせることにある(最高裁第一小判昭和三〇、二、二四民集九巻二号二一七頁参照)。したがつて、行政庁の処分その他公権力の行使としてなされた行為によつて生じた効果を遡つて消滅させることを目的とする不服申立てそのものが、右に述べたような効果をもつ行政庁の行為でなければならないことは当然であるが、それとともに、不服申立てをなすことができる者であるがためには、違法または不当な公権力の行使によつて、直接に自己の権利または法律上の利益を侵害された者であることを要する。これを法の関係についていえば、船員保険の保険関係当事者であり、かつ、保険料負担者でもある被保険者および船舶所有者が標準報酬の決定について不服申立権を有することは疑いのないところといわなければならない。けだし、船員保険は、陸上労働者に対する健康保険、厚生年金保険、失業保険、および労働者災害補償保険を総合したものに相当するいわば総合的社会保険であるところ、その保険料は、船員が船員として船舶所有者に雇用されている限り、その間は永続的に常に各毎月毎に徴収される関係にあり、しかも、その保険料額は、被保険者各人の標準報酬額に一定の保険料率を乗じて計算される(法五九条一、二項、六〇条ないし六二条の二)から、標準報酬の決定は、被保険者および船舶所有者にとつて極めて重要かつ直接的な利害をおよぼし、違法な標準報酬の決定によつて、将来にわたり継続的な不利益をもたらすこととなるからである。したがつて、法六三条一項が標準報酬に関する処分に不服ある者として予定しているのは、右に述べたような意味における法律上の利益を有する保険関係当事者たる被保険者と船舶所有者に限られ、被保険者の行方不明、または、死亡という将来発生することが不確実な事実にかからしめられた単なる期待権にしかすぎない保険給付(行方不明手当金、遺族年金および葬祭料)の受給権を取得する可能性を有する被保険者の被扶養者や遺族についてはこれを含ましめない趣旨と解するのが相当である(因みに被保険者の被扶養者の疾病、負傷、分娩、または、死亡に関する保険給付についての受益者すなわち保険給付受給権者は、被保険者であるから、被扶養者が標準報酬の決定について不服申立権を有しないのは明らかである。)。

なお、このことは、次のことからも明らかである。すなわち、(イ)、第一に、社会保険審査官及び社会保険審査会法(以下便宜「審査会法」という)四条は、標準報酬に関する処分についての不服申立期間を処分のあつたことを知つた日の翌日から起算して六〇日以内とするとともに、不服申立権行使の除斥期間を原処分のあつた日の翌日から起算して二年と規定しているのであるが、これは標準報酬の決定について、保険関係当事者たる被保険者および船舶保有者の利害に直接かかわるものとして不服申立てを認めるも、爾後の保険関係の進展に影響するところ極めて大なるものがあるため、可及的早期に標準報酬の決定を確定させ、保険関係の安定化を図る趣旨であるが、もし遺族年金受給権者の権利救済のため、同受給権者に固有の不服申立権を認めたとすれば、二年経過前に受給権を取得した者と二年経過後にはじめて受給権者となつた者との間に不公平を生ずるが、審査会法はこの点について何らの特別の定めをしていない。このことは遺族年金受給権者に標準報酬に対する不服申立権を認める趣旨でないことを意味するにほかならないというべきだからである。(ロ)、第二に、船員保険において、例外的保険給付権者である被保険者の扶養者(行方不明手当金の場合)や遺族(遺族年金葬祭料障害年金差額一時金、遺族年金差額一時金の場合)は、被保険者の行方不明または死亡という保険事故が発生し、かつ、法が定める具体的受給権者たる要件を充足したときに、初めて原始的に保険給付受給権を取得するに至るのであるが、受給権を取得した時点においては、一般的に、審査会法四条一項ないし同条二項の期間を経過して最早標準報酬の決定が確定し、争いえない状態となつていることが多いと考えられる(最終標準報酬月額より前の標準報酬月額も遺族年金額の算定の基礎となる(法五〇条の二))。それにもかかわらず、もし法が、保険給付受給権者たる地位を根拠として標準報酬に関する処分に対し、不服申立てをなすことを認めたとすれば、これら例外的給付受給権者たる被扶養者や遺族の不服申立期間につき、これらの者の間において不公平とならないようにするなどの配慮が当然なされて然るべきであるのに、法および審査会法には右に関し、何ら特別の規定が存しないのである。(ハ)第三に、標準報酬の決定について不服申立てを許すということは、法三条にいう報酬の額、すなわち報酬の内容について争うことを認めることであるが、行方不明手当金や遺族年金等の具体的受給権となる被扶養者や遺族は、常に必ずしも被保険者と同一世帯にあつて同居し、かつ、被保険者によつて生計を維持していたものとは限らない。例えば、法二三条に規定する遺族年金を受くべき遺族の範囲として掲げられている配偶者、子、父母、孫、祖父母及び兄弟妹姉については、被保険者に生計を維持されていた者であれば、被保険者と同一世帯に属していたことも同居していたことも必要ではないのである。それ故、同一世帯にも属せず、同居もしていなかつた被扶養者や遺族は、恐らく死亡した被保険者が船舶所有者からどのような内容の報酬を受けていたかを知悉していないと推定されるところ、殊に、船員の場合、陸上労働者と異り、陸上生活よりも海上上生活の方が永い場合が多いので、同居の配偶者でもその容要を知悉しているとは限らない(本件の場合が正に右に該当するが、この点については後述する。)。このような、被保険者の生前における給与関係について全く関与することもなく、したがつて通常の場合、その報酬内容について知悉しているとは考えられない者についてまで、被保険者の生前の報酬の内容を争わせることは不合理であるばかりでなく、徒らに保険関係を錯綜させるのみで何ら利するところがない。もし、右に述べたような被扶養者や遺族と取扱いを異にし、被保険者と同居していた配偶者についてのみ特別に報酬の内容について争うことを認めるべきであるとするなれば、当然特段の定めがなされるべきであるが、法および審査会法にはそのような規定が存しないのである。

以上要するに、標準報酬の決定に関する処分についての不服申立権は、保険料負担者としての保険関係当事者たる被保険者および船舶保有者のみに対し認められるべきものであるといわなければならない。

(二)  (標準報酬額決定による受益者について)

法四条に規定する標準報酬は、各被保険者毎にその報酬月額、つまり船員として船舶所有者に雇用された船員が船舶所有者から労務の対価として受ける賃金、給料、俸給、手当等(法三条一項)に基づいて定められるもので、現在における標準報酬月額は、最低二万四〇〇〇円より最高二〇万まで三三等級の段階が設けられている(法四条一項)。しかして、右標準報酬月額は、前述の如く保険料額算出の基礎となると共に、他方では保険料給付額算定の基礎ともなるものとされている(例えば法三二条、三三条の九、三五条、四九条の三、五〇条の二)。したがつて、保険事故発生に至るまでの時点においては、単に被保険者の被扶養者にすぎなかつた行方不明手当金受給権者や遺族年金等受給権者も保険事故の発生により、具体的受給権を取得することによつて、すでになされている標準報酬の決定につき、直接法律上の利益を有するに至つたかにみえる。しかし、行方不明手当金や遺族年金等の受給権者が標準報酬の決定によつて受ける利益は、何ら直接の法律上の利益ではなく、保険給付額算定の基礎として、船員保険が採用した制度である標準報酬を定めるべきことを法が命じた結果として生じた単なる反射的利益にすぎないと解すべきである。けだし、船員保険においては、各被保険者間の負担の公平を期するとともに、生活程度に応じた保険給付を行うため保険料を徴収し、保険給付を行う場合には被保険者が船舶所有者から受ける報酬の額を基礎としてその額を算定することにしているのであるが、被保険者個人により、或いは各月によつても異なる千差万別の実報酬をそのまま算定の基礎とすることは、事務的に極めて複雑煩瑣となる許りでなく、事務量もぼう大に増加することになるのでこれを避け、事務的便宜と船員保険事業運営の円滑化と迅速化を図るための技術的要請から、健康保険や厚生年金保険におけると同様に標準報酬額を採用しているものであるからである。なお、この意味において、標準報酬は、千差万別に異なる実報酬の態様を段階的に集約化した、いわば仮定的な報酬というべきものであつて、各被保険者が船舶所有者から受ける現実の報酬そのものではないし、また、標準報酬の制度は、船員保険関係当事者間における法関係をめぐる事務を簡素化するために設けられた純粋の技術的制度であつて、例外的保険給付受給権者たる行方不明手当金受給権者や遺族年金等受給権者の個人的利益保護のため、行政権の行使に対して一定の法的制約を課したものではないのである。

したがつて、亡満の死亡という保険事故の発生によつてはじめて原始的に遺族年金受給権者となつたにすぎない被控訴人は、知事のなした標準報酬の決定について単に反射的利益または不利益を受けるものにすぎず、何ら直接法律上の利益ないし不利益を受けるものではないといわなければならない。

(三)  (不服申立権の承継について)

(1) 遺族年金受給権者となつた者が、船員保険法上、被保険者の承継人であるとするためには、承継が認められるところの実定法上の根拠が存しなければならないことはいうまでもない。

ところで、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為に対する不服申立権の行使には、論理的に二つの場合が考えられる。すなわち、(イ)、一は、不服申立ての目的たる行政処分等にかかる権利ないし法律上の利益が処分等によつて侵害されたため、当該権利ないし法律上の利益の帰属主体が、自らの有する権利ないし、法律上の利益に基づいて不服申立権を行使する場合である。これには当該処分等にかかる権利ないし法律上の利益の原始的帰属主体が自ら不服申立権を行使する場合と、当該処分等にかかる権利ないし法律上の利益そのものの承継があつたことにより、新たに当該権利ないし法律上の利益の帰属主体となつた者が不服申立権を行使する場合とが考えられる。審査会法一二条が規定している審査手続の受継は、右に述べた後者の一場合、すなわち、当初は、権利ないし法律上の利益の原始的帰属主体自らが審査請求を申立てたが、審査手続中に死亡したことにより審査請求の目的、つまり不服申立ての目的たる処分等にかかる権利等の承継があつた場合の規定であることは明らかである。(ロ)、他の一つは、不服申立ての目的たる処分等にかかる権利ないし法律上の利益の帰属とは無関係に、換言すれば、当該権利の帰属主体でない者が自ら当事者として処分等に対する不服申立権を行使する場合である。この点について、審査会法及び法には何ら規定していないが、行政処分等に関し不服申立てが認められる理由は、当該処分によつて権利ないし法律上の利益を侵害された者に対し、救済の途を講ずることにあるのであるから、当該処分等にかかる権利等の帰属者以外の者が不服申立てをなすためには特別の定めが必要であるというべく、行政事件訴訟法九条が、処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者に限り提起することができると規定している法意も、右の当然の事理を明らかにしたものと解すべきである。しかして、本件の場合、亡満が生前有していた標準報酬の決定に対する不服申立権は、明らかに前記(イ)の場合、すなわち不服申立ての目的たる標準報酬の決定にかかる権利ないし法律上の利益の帰属主体として、自らの有する権利ないし法律上の利益に基づくものであることは疑いのないところ、亡満は、被保険者たる自己の死亡という保険事故によつて発生する遺族年金受給権を、生前に自らが取得するということは実定法上は勿論、論理的にもありえないことであるから、結局、亡満が生前有していた標準報酬の決定にかかる権利ないし法律上の利益というのは、保険給付受給権者たる地位に基づく保険給付額の適正にあるのではなく、すでに述べた如く、船員保険関係当事者であり、かつ、保険料負担者としての被保険者たる地位に基づく保険料額の適正にあることが明らかである。

してみれば、亡満は、船舶所有者四宮勲に機関長として雇用されたことにより、昭和四四年一一月六日に船員保険の被保険者としての資格を取得するに至り(乙第一号証の一、第二号証の三)、同年一二月二〇日海難事故に基づく死亡により被保険者資格を喪失するに至つたものである(乙第一号証の一、第二号証の四)。したがつて、亡満の船員保険関係の当事者としての被保険者たる地位ないし資格は、同人の死亡によつて絶対的に消滅した(法一九条)から、同人が生前有していた被保険者たる地位そのもの、もしくは被保険者たる地位の属性としての公平かつ適正な保険料負担の利益という不服申立ての目的たる処分等にかかる権利ないし法律上の利益を被控訴人が承継するということは如何なる意味においてもありえないといわなければならない。

(2) 次に、実体的内容たる権利ないし法律上の利益を離れて、単に手続面たる標準報酬の決定に対する不服申立権のみが承継の対象になることもない。

すなわち、前記の如く、そもそも法律が、行政処分その他公権力の行使に関し、不服申立ての制度を設けたのは、当該処分によつて権利ないし法律上の利益を直接侵害されるに至つた者に対し、救済の途を開くことにあるから、不服申立ての目的たる行政処分、その他公権力の行使にかかる法律上の利益等の原始的帰属者、または、その承継人以外の者に、当該行政処分等に関する不服申立権のみを与えなければならない論理的必然性は存しないのである。それ故、法律が、何らかの必要性から特に当該行政処分等(本件に則していえば標準報酬の決定)にかかる権利ないし法律上の利益の帰属者以外の第三者に、右処分等に関する不服申立権のみを特に認める旨の特別の定めが存しない限り、手続的な不服申立権は、常に行政処分等にかかる権利ないし法律上の利益に附従し、かつ随伴するものであつて、実体的な権利ないし法律上の利益の存しないところに不服申立権のみが存することはなく、実体的な権利ないし法律上の利益の移転のないところに、不服申立権のみの移転はありえないというべきである。そして、このことは、審査会法一二条および同法施行令(以下単に施行令と略称)九条の規定に徴しても明らかなところである。すなわち、審査会法一二条は、「審査請求人が、審査請求の決定前に死亡したときは、承継人が、審査請求の手続を受け継ぐものとする」として、審査請求人もしくは再審査請求人が、それぞれ審査請求、再審査請求をし、決定もしくは裁決前に死亡した場合(同法四四条)の手続の受継を認めているが、右にいう「承継人」が、権利ないし法律上の利益を離れた単なる不服申立ての手続についての承継人でないことは、同規定の文意(審査請求手続の承継人は審査請求手続を受継するというのでは全く規定自体が無意味である。)、および、施行令九条二項が、審査請求または再審査請求を受継する承継人に、死亡による権利承継の事実を証する書面の提出を命じていることからも、手続法たる審査会法、および、実体法たる船員保険法が、実体的権利ないし法律上の利益の承継の存するところにのみ不服申立て手続の承継を認める趣旨であることは疑いのないところといわなければならず、しかも実体的権利ないし法律上の利益の帰属者以外の第三者に、不服申立権のみを認め、或いは、その承継を認めた特別の定めは存しない。

因みに、行政不服審査法においては、法律自らその三七条一項、二項および六項で、右趣旨のことを明定しているところである。また、最高裁大法廷昭和四二年五月二四日判決(民集二一巻五号一〇四三頁)は、訴訟承継に関してであるが、生活保護法に基づく生活保護受給権者が訴訟係属中死亡した事案について、訴訟の承継の認められるのは、訴訟物たる権利又は法律関係の承継がある場合か、訴訟物たる権利又は法律関係の承継はなくても、特に法令により訴訟追行権を与えられている場合でなければならないが(奥野裁判官補足意見)、生活保護受給権は、一身専属権であつて、譲渡の対象にも相続の対象にもなりえず、したがつて保護受給権はもとより、生存中の扶助料ですでに遅滞にあるものの給付を求める権利も、本人の死亡によつて消滅したから訴訟も同時に終了し、相続人においてこれを承継する余地はない(理由要旨摘記)として、訴訟承継を否定している。

(3) 結局、本件の場合、遺族年金受給権は、被控訴人自らが被保険者亡満の死亡という保険事故によつて原始的に取得した権利であつて、同人より承継したものではなく、また、船員保険の保険関係当事者たる被保険者たる地位、および、同人が生前有していた標準報酬決定という行政処分にかかる実体的権利ないし法律上の利益の内容である、適正な保険料の負担は、同人の死亡によつていずれも消滅したものであつて、これを承継するに由ないものである。したがつて、被控訴人においては、被保険者亡満が行使すべき不服申立権が消滅しているか否かに関係なく、船員保険法上、保険関係に関し、同人から承継しうる何ものも存しないことは明らかなところといわなければならない。

二  (標準報酬の決定と社会保険庁長官の権限)

次に、社会保険庁長官には、標準報酬の決定を取消又は変更する権限はない。すなわち、

(1)  船舶所有者は、船員保険法に基づく被保険者の資格を取得した者があるときは、被保険者の氏名、生年月日、資格取得年月日、報酬月額等を記載した船員保険被保険者資格取得届を一〇日以内に都道府県知事に提出しなければならないことになつており(法二一条の二、同法施行規則七条)、都道府県知事は、被保険者の資格取得の確認及び標準報酬月額の決定をし(法四条二項)、その旨を船舶所有者に通知し、船舶所有者は右通知を受けたときは遅滞なく之を被保険者に通知しなければならないことになつている(法二一条の三)。さらに、都道府県知事は、右通知をすると共に、被保険者証及び被保険者が被扶養者を有する場合には、被扶養者証を船舶所有者に送付して被保険者に交付することとされている(規則一七条の二、一七条の五)。

右のとおり、被保険者の標準報酬の決定は、都道府県知事が行うことになつているが、被保険者の資格、標準報酬または保険給付に関する処分に不服のある者は、社会保険審査官に審査請求をなし、その決定に不服のある者は、さらに社会保険審査会に対し再審査請求をすることができるが(法六三条一項)、審査請求は、処分があつたことを知つた日の翌日から起算して六〇日以内、再審査請求は、審査官の決定書の謄本が送達された日の翌日から起算して六〇日以内にしなければならないこととなつている(審査会法四条、三二条)。そして、被保険者の資格または標準報酬に関する処分が確定したときは、その処分についての不服は、之を当該処分に基づく保険給付に関する処分についての不服の理由となすことはできないこととされている(法六三条四項)。

他方、被保険者が職務上の事由により死亡した場合は、遺族に対して遺族年金が支給されることになつているが(法五〇条)、右年金の支給は、遺族の請求によつて社会保険庁長官が権利の裁定をなし、遺族年金証書を交付してから行うことになつている(規則八一条、八一条の二)。右裁定における遺族年金の額は、最終標準報酬月額、平均標準報酬月額、被保険者期間及び扶養者数を基準として機械的に算出されるよう規定されていて、社会保険庁長官の裁量が働く余地は全く残されていないのである。

(2)  船員保険法における標準報酬の決定、これに対する不服申立、確定した標準報酬に対する不服申立の制限、裁定における遺族年金額の決定が、右のような関係にあることからすれば、標準報酬の決定は、都道府県知事の専権に属し、社会保険審査官又は社会保険審査会においてこれを取消し得るにすぎず、社会保険庁長官は、これが未確定な状態において、これを自らの権限において取消し又は変更する権限がないことは法文上明らかである。

したがつて、控訴人の被控訴人に対する本件遺族年金に関する裁定自体には、何等の違法もない。

三  (標準報酬の決定が確定していることについて)

徳島県知事のなした本件標準報酬の決定は、次の通り、確定している。すなわち、

(1)  船舶所有者から被保険者資格取得確認書が提出されると、都道府県知事は、被保険者の資格取得の確認及び標準報酬月額の決定をなし、その旨を船舶所有者に通知し、船舶所有者は、遅滞なく被保険者に通知しなければならないとされている。そしてこの際、都道府県知事は、同時に被保険者証及び被保険者が扶養家族を有すれば、被扶養者証を船舶所有者を通じて被保険者に交付しなければならないことになつている。

ところで、訴外亡黒瀬満は、昭和四四年一〇月一日頃訴外四宮勲に雇われ、右両名が話し合いの結果、船員保険の報酬月額を五万円として届出ることに合意し、訴外四宮勲は、同年一一月六日県社会保険事務所を通じて徳島県知事に亡満の資格取得届を提出し、翌日頃、同事務所は、標準報酬決定の記載がある資格取得確認通知書、被保険者証及び被扶養者証の三通を訴外四宮勲に郵送し、その頃被扶養者証を亡満の妻である被控訴人が手中に入れているのである。

そうだとすると、訴外四宮勲は、社会保険事務所から右資格取得確認通知書等三通の送付を受けると、これをすべて本人である亡満に手交したと認めるのが相当であり、仮りに、亡満が資格取得確認通知書を現実に受領していなくても、約三〇年の間に一八回も船舶所有者である雇主を替えているのであるから、被保険者証及び被扶養者証を受領したときに、訴外四宮勲と合意したところによつて標準報酬の決定がなされ、それが通知されたことを知つたと認めるべきである。そこで、徳島社会保険事務所から訴外四宮勲宅のある阿南市までの郵送日数は、同一県内で一日とみれば十分であるから、亡満が標準報酬の決定があつたことを知つた日は、昭和四四年一一月八日ごろとなる。

(2)  ところで、審査会法四条に規定する審査請求期間については、時効の中断、停止のごとき制度はないから、右期間中に亡満が死亡したとしても、期間は進行するものと解される。したがつて、遺族に標準報酬の決定に対して不服申立権が認められるとしても、亡満ないし被控訴人の右決定に対する不服申立は、右処分のあつたことを知つた右同日ごろの翌日から起算して、六〇日以内である同四五年一月八月ごろまでにしなければならないところ、被控訴人らは右期間を徒過しているから、徳島県知事のなした亡満の標準報酬は確定し、本件遺族年金の裁定においては最早これを不服の理由とすることはできなくなつたというべきである。もつとも、被控訴人は、同年六月一八日付書面をもつて徳島県社会保険審査官に審査請求をなしたが棄却され、さらに社会保険審査会に再審査請求したが同じく棄却されているが、右審査官及び審査会において棄却の決定又は裁決がなされたからといつて、期間を徒過した不適法な不服申立の瑕疵が治癒されるものではない。

(3)  以上のとおり、徳島県知事がなした亡満の標準報酬の決定は確定しているのであるから、被控訴人の標準報酬の決定の違法を理由として、本件裁定の取消しを求める本訴請求は、理由がない。

四  (標準報酬を争う被控訴人の主張と信義則違反)

亡満は、届出の報酬月額について、船舶所有者四宮と合意し、同人が右合意額をもつて資格取得届を提出することに同意したのであるが、このことは将来法に定める各種の保険事故が発生し、保険給付を受けることになつた場合においても、合意した報酬月額を基として算定される額を限度として保険給付を受けうれば十分である旨を了承したことを意味するものというべきである。すなわち、資格取得届が徳島県社会保険事務所を通じて徳島県知事に提出されると、部内担当課の職員によつて届書記載各欄の検討が行われるが、この場合、報酬月額欄については、その記載が罰則規定(法六八条一号)の適用があることにより正確性が担保されているということ、および、大量件数の事務処理を余儀なくされている状況から、現実の実務処理上、被保険者のすべてについて事実調査を行うことは不可能なので、予め調査のうえ作成されている徳島県の平均賃金(機帆船と漁船別に分け、徳島県が適用している被保険者の平均報酬月額)、および、およそ徳島県下ではこれ以下の報酬はありえないものとされている最低基準モデル賃金(船舶のトン数別、職種別による最低基準賃金)以下の報酬月額が記載されていないかをチエツクする。しかして、右県平均または最低基準モデル賃金以下の報酬月額が記載されているものについては改めて調査することとなるが、その余のものについては、届書記載額をもつて報酬決定をしたのち、名簿に記載し、被保険者証、被扶養者証を作成して決済にまわし、しかる後、標準報酬決定と資格確認が行われる運びとなる。

このように、報酬月額の決定については、実務上は、県平均および最低基準モデル賃金以下でない限り届出額をもつて法三条の報酬月額とするのが通例であるところ、法四条の標準報酬月額の決定、さらに、被保険者および船舶所有者の負担すべき保険料額の算定(法五九条二項、六〇条)についても、法が、誠実かつ正確な届を期待している届出報酬月額(法二一条の二)が、すべてその基礎となるものである。したがつて、船舶所有者と被保険者とが、届出報酬月額を故意に虚偽の額をもつて合意したことにより、低額の保険料のみを負担し、後日、保険事故の発生によつて保険給付受給権者が給付を受ける時点に立ち至つて、届出額に基づいてなされた標準報酬の決定が事実の報酬月額と異なる旨主張し、右決定について争うことは、次に述べる通り、船員保険制度上からみて信義則上許されないというべきである。すなわち、

(1)  船員保険は、社会保険の一として、政府管掌の保険であるところから一部の費用を国庫が負担するとはいえ、法五八条および五八条の二に規定する費用以外の船員保険事業に要する費用は、すべて保険料によつて賄われる。尤も、船員保険は、総合的社会保険であるから、それぞれ性格の異なる保険給付が包含され、したがつて、保険料額についても、必ずしも危険発生の要素のみを考慮して定めてあるものではなく、また、保険給付についても、例えば療養の給付の如く保険料の負担と比例しないものも存するが、しかし、被保険者の報酬に比例して保険料額が定められ、被保険者の生活程度に応じた給付がなされる点もあつて、報酬額を基礎とした保険給付がなされるほか、事業主たる船舶所有者も保険料の一部を負担するなど、相互扶助的性格が強い。それ故、保険関係当事者の公正と誠実を期待している法の信頼を裏切り、ひとり本来負担すべき額より低額の保険料を負担し、保険給付のみは保険料算定の基礎となつた報酬よりも高額の報酬を基礎として算定すべきことを要求するのは、単に、保険関係の構成員である他の当事者と不公平を生ずるばかりでなく、相互扶助的連帯を破壊し、船員保険事業の根幹である保険財政の均衡をおびやかす結果ともなるからである(現に納付している保険料と適正な保険料との差額を追徴するとしても、二年間遡及して徴収しうるのみである(法五条参照))。

(2)  また、法は、五一条以下において、故意に保険事故を発生せしめた場合や詐欺等の行為によつて不正に保険給付を受けようとした者等について、保険給付の制限をなしうる旨規定しているが、これらは反社会的行為であると同時に、船員保険関係当事者間の信頼関係を破る行為にほかならない。したがつて、これと同じ意味において、故意に報酬月額を低く届出る旨合意した場合においては、衡平の見地からも、後日保険給付受給権者にこれと異る主張を許すことは、極めて不合理である。

五  (報酬月額について)

訴外四宮勲が、亡満を雇入れるため、同人と交渉したのは、前後三回であるが、亡満の自宅を訪問し、かつ、亡満の妻である被控訴人と同席したのは、第二回目に会つたときだけであり、雇用の話が決つたのは、四宮と亡満の二人だけが徳島市内で食事を共にした第三回のときである、そして、亡満が四宮の船に乗船するようになつたのは、かつて亡満と四宮とがともに同人の父の船に乗組んでいた時から、四宮が自分で船を持つようになつたら亡満も、その船に乗つて一緒にやろうという男同士の話合いによるものである。したがつて、本給を一ケ月金七万円、航海手当を最低金一万五〇〇〇円保障するというような話は全くなく、その旨の合意はなかつたのである。

なお、また、亡満が訴外福池満に雇われていた当時の給料は、本給金六万五〇〇〇円、その他航海手当が金一万五〇〇〇円ないし金二万一〇〇〇円であつたというようなことはない。このことは、福池が右亡満の給与額を基準にした源泉徴収をしてこれを納付していないことからも明らかであつて、この点に関する原審証人福池重子の証言、甲第六号証、乙第五号証の四の記載内容は、信用できないものというべきである。そして、亡満が四宮勲に雇用されるに至つたのは、四宮勲と幼ななじみの関係にあつたことによるものであつて、給料が高くなることを理由に、右四宮に雇用されたのではない。

これを要するに、亡満の生前の報酬月額を金八万五〇〇〇円と認定することは、本件の証拠上及び経験則上からいつて、極めて不合理である。

(被控訴人の答弁及び主張)

一  控訴人の右主張はすべて争う。

二  (船員保険遺族年金の受給権の法的性質と被控訴人の原告適格について)

(1)  船員保険法第五〇条三号によれば、遺族年金については、受給権者が被保険者又は被保険者の遺族と法定されており、本件の場合は、被保険者たる黒瀬満の妻である被控訴人が夫満の死亡事故により遺族年金の受給権を取得したものであるから、控訴人のなした誤まつた標準報酬にもとづく本件処分に対して不服申立をなすべき法律上の利益を有することはもとより当然のことであり、右受給権は、控訴人がいうように単なる期待権でもなければ、反射的利益でもなく、明確に法律によつて認められた被控訴人固有の権利なのである。遺族年金の受給権者が、遺族年金の支給にあたり行政庁の違法な処分によつて過少な年金額しか受領することができないということであれば、とりもなおさず、自己の法律上の利益が侵害されたことになり、このような受給権者の権利に直接重要な影響を及ぼす行政処分に対しては、広く不服申立の途が開かれるべきことは当然といわねばならない。

(2)  遺族年金の支給を受けるべきものは、常に被保険者又はその遺族であり、被保険者の死亡という保険事故によつて遺族にはじめて具体的受給権が発生するのであるから、その時点において被控訴人としては、遺族年金の支給決定処分に違法があれば、不服申立をすることができるとするのが当然であるにもかかわらず、控訴人の主張によれば、被保険者の死亡事故による遺族の年金受給権は、単なる反射的利益にすぎないというのであるから、このような場合、年金支給決定処分に対しては、それがいかに誤つた違法な処分であつたとしても、もはや被保険者死亡の後は、何人も不服を申立てることすら不可能という結果になり、これではせつかく法が、遺族に年金の受給権を認めた船員保険制度の趣旨が全く没却されてしまうばかりか、国民が、直接自己の法律上の利益にかかわる行政庁の処分に対して、不服申立のできる途を講じた行政不服審査法および行政事件訴訟法の精神にも反する不合理なことになり、実定法上の明文の根拠もなしに、国民の権利救済の途を一方的に閉すことは決して許されたことではなく、このような解釈が成立しうる余地はない。

(3)  被控訴人が、遺族年金の受給権を取得したのは、被保険者である夫満の死亡事故の結果であつたとしても、夫の死亡によつて自己の取得した受給権については、被控訴人固有の権利すなわち船員保険法五〇条の二によつて定められた金額の支給を受けるという法律上の利益であつて、もしこの受給権が行政庁の誤つた違法な処分により侵害されることがあるとするならば、それに対しては、速やかに不服の申立をなすことができると解することが、法が要請するところであり(船員保険法第五章参照)、行政庁の処分によつて自己の権利、義務が新たに形成され、あるいは、自己の法的利益に直接影響を受ける国民が、不服申立をするにつき、固有の法律上の利益を有しないと解することは、適正な法解釈を無視した独断という外はない。もし、受給権者に処分の取消を求めるにつき法律上の利益がないとするならば、遺族の年金受給権というものは、権利とは名ばかりの全くの国家の恩恵にすぎないということになつてしまうばかりか、遺族に年金受給権が発生した時は、すでに被保険者は死亡しているのであるから、もはや何人も不服を唱えることは許されず、遺族は、せつかく法によつて正当な額の年金受給権を附与されておきながら、自らこの権利が侵害されたことを知つても、もはやそれについていかんともなし難いという結果となり、当事者にとつてあまりにも酷である。これでは、法治国家の期待する国民の権利救済に欠け、遺法な行政処分の瑕疵はいつこうに治癒されず、極めて不合理といわざるを得ない。

(4)  控訴人は、標準報酬の決定と、遺族年金支給決定処分とをあえて混同し、支給決定処分については訴えの利益を認めるかのようでありながら、他方標準報酬の決定については遺族固有の不服申立権を全て否定し、遺族には、処分に対する不服申立権が一切認められないとの主張をしている。しかしながら、社会保険庁長官は、標準報酬にもとづき各種船員保険年金の具体的支給額を決定しているのであるが、右行政処分に不服がある者は、当然のことながら、その前提となる標準報酬の決定についてもその当否を問題にすることができなければならない。けだし、標準報酬の決定というものは、控訴人が最終的に行政処分を決定するにあたり、その前段階となるものであり、したがつて本件訴訟においても、標準報酬の決定のみを特に切り離して、それのみについて別個に取消を求めているものでなく、あくまでそれを含めた最終の支給決定処分に誤りがあり、それが違法であるとして本件処分自体を取消しの対象として請求しているのであるからである。

したがつて、本件では、標準報酬の決定それ自体が直接に取消訴訟の対象となつているのではなく、それにもとづく本件処分を取消しの対象としているのであるから、標準報酬決定それのみに対する不服申立権の有無は、問題にならないのである。

(5)   これを要するに、被控訴人は、被保険者たる夫黒瀬満の死亡という保険事故により、遺族年金の具体的受給権を自己固有の権利として取得したものであるから、控訴人の遺族年金支給決定処分が違法であり、法によつて認められた受給額より少ない金額しか支給されない場合には、とりも直さず、自己の権利、利益が直接侵害されたものとして、被控訴人に、右処分の取消を求める権利があるのである。

ちなみに、船員保険法六三条四項には「・・・標準報酬に関する処分が確定したるときは、その処分についての不服はこれを当該処分にもとづく保険給付・・・に関する処分についての不服の理由となすことを得ず」という規定があり、その反対解釈として、当然に標準報酬の決定が未だ確定していないときは、当該標準報酬についての不服を社会保険庁長官のなした遺族年金支給決定処分それ自体に対する不服の理由とすることは何ら差しつかえないとの結論が論理必然的に導出される。本件の場合、標準報酬の決定が未だ確定していないことは後述するとおり明らかである。

三  (被告適格について)

控訴人は、標準報酬の決定が事実上知事に委せられており、知事の決定が控訴人をも覊束し、控訴人の本件処分にあたつては全く裁量の働く余地はないと主張し、これを前提にして控訴人には本訴の被告適格がないと主張しているが、遺族年金支給決定処分は控訴人の専権事項であつて、知事には何らの処分権もないところ、被控訴人は本件訴訟において被控訴人に対して遺族年金支給決定処分を行なつた控訴人を相手として、右処分の取消を求めているのであるから、訴訟において被告となるのは原処分庁である社会保険庁長官をおいて外にない。結局、控訴人は、一貫して行政事件の訴訟物についての把握を誤り、本件処分決定手続の単なる一段階を構成するにすぎない標準報酬の決定について、被控訴人が、本件において、あたかもこれを取消しの対象としているかのごとく誤解し、これを前提として筋ちがいの主張をしているのである。

四  次に、被控訴人の標準報酬の決定に対する不服申立権は、未だ消滅していない。

訴外黒瀬満が標準報酬の決定があつたことを昭和四四年一一月八日ごろ知つたとの控訴人の主張は強く否認する。

右訴外亡黒瀬満は、標準報酬の決定については全く知らされておらず、被控訴人が本件処分を不服として徳島県社会保険審査官に対して審査請求の申立をなしたのは昭和四五年六月一八日であり、標準報酬の決定があつたのは昭和四四年一一月六日以後のことであるから、二年間の不服申立期間は徒過しておらず、右決定は、未だ確定していない。したがつて、本件遺族年金決定処分取消訴訟において標準報酬決定の誤りを不服の理由とすることは何ら差支えない。

五  (信義則違反の主張について)

控訴人は、被控訴人が標準報酬の決定の誤りを不服の理由とすることは、信義則上許されない旨の主張をしているが、右の主張は、控訴人が原審においてもすでに提出していたものであつたが、後になつて突如として撤回したという経緯があり、原審において撤回した主張を控訴審において再び提出するなどということは、特別な事情の変更も見受けられない本件においては、いたずらに審理を混乱遅延させ被控訴人の防禦に重大な影響を与えるものであるということを考えれば、訴訟法上の信義、誠実の原則に照らし、時期に遅れた攻撃方法に該当しとうてい却下を免れない。

なお船員保険資格取得を始め、報酬の届出などに於て、控訴人主張の如き事情があるからといつて、単に従属的立場にあるに過ぎない亡黒瀬満やその遺族たる被控訴人に対し、信義則や衡平の原則などをふりまわし、真実の報酬額に目をつぶり、不当に低い年金額を押しとおすことはできないものというべきである。

六  (報酬月額について)

控訴人は、原審の第一回口頭弁論期日において、訴外亡黒瀬満の報酬が、被控訴人主張の通り、月額金八万五〇〇〇円であつたことを認めるとの旨の陳述をして、これについての自白をしたが、その後原審の第八回口頭弁論期日において、右自白を撤回したので、被控訴人は、同期日において、直ちに右自白の撤回に異議がある旨述べた。

仮りに、原審の第八回口頭弁論期日において、被控訴人が右自白の撤回に異議を述べたことが認められないとしても、被控訴人は、当審の第一回口頭弁論期日において、右自白の撤回に異議を述べた。

したがつて、亡満の報酬月額については、民訴法二五七条、行政事件訴訟法七条により、証拠を要せず、当事者間に争いないものとして、金八万五〇〇〇円と確定さるべきである。

なお、仮りに、右主張が認められないとしても、亡満の報酬月額は、客観的にも真実金八万五〇〇〇円であつたのであつて、このことは、原審における控訴人代理人の態度、本件訴訟前の遺族年金支給決定に対する審査請求についての社会保険審査官の決定、これに対する再審査請求についての社会保険審査会の決定等に照らして明らかである。

七  (被控訴人の控訴人に対する本件遺族年金を金四九万六六〇〇円と決定することを求める訴について)

抗告訴訟として認められている行政処分の取消訴訟と義務づけ訴訟とでは、その目的においても、要件においても、明白な違いがあり、義務づけ訴訟は、国民の権利救済という点においては、取消訴訟にくらべ、はるかに効果的であるところから、極めて厳格な要件のもとに、例外的に認められているのである。したがつて、行政処分取消の判決があるからといつて、義務づけ訴訟を提起する必要性も利益もないとはいえない。

なお、本件においては、法律上、控訴人において被控訴人主張の処分(決定)をなすべきであり、かつ、被控訴人が控訴人に対し、右処分をなすべき義務づけ訴訟を提起する要件が具備しているものというべきであるから、被控訴人の右請求は当然に認容さるべきである。

よつて、被控訴人は、附帯控訴をして、附帯控訴の趣旨通りの判決を求める。

(被控訴人の右主張に対する控訴人の答弁及び主張)

一  控訴人の右二ないし五及び七の主張は争う。

同六の事実のうち、控訴人が、原審で当初、亡満の報酬月額は被控訴人主張の通り金八万五〇〇〇円であることを認める旨の陳述(自白)をし、かつ、その後原審の第八回口頭弁論期日において、右自白を撤回したことは認めるが、その余の事実は争う。

二(1)  控訴人は、原審の第八回口頭弁論期日においては勿論、その後原審の口頭弁論が終結されるまでの間において、控訴人のなした右自白の撤回に対し、異議を述べたことは全くない。このことは、原審の口頭弁論調書中に、控訴人が右自白の撤回に対する異議を述べた旨の記載は全くなされていないし、また、右自白の撤回に対し異議を述べる旨の準備書面等は全く提出されていないことからも明らかである。

(2)  仮りに、控訴人が、原審の第八回口頭弁論期日において、その主張の如く右自白の撤回に対する異議を述べたとしても、そのことが原審の口頭弁論調書に記載されていないことについて、何等異議を述べなかつたから、これにより責問権を喪失したものというべきであり、したがつて、自白の撤回に対する異議はなかつたものというべきである。

(3)  なお、被控訴人の右自白の撤回に対し、当審において、異議を述べることは、時機に遅れた攻撃防禦方法というべきであるから、民訴法一三九条一項により却下さるべきである。

(4)  よつて、被控訴人のなした自白の撤回は有効である。

三  (被控訴人主張の義務づけ訴訟について)

被控訴人が控訴人に対し、本件遺族年金を金四九万六六〇〇円と決定することを求める訴は次に述べる通り、不適法である。

(1)  現行制度上、裁判所は、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有する(裁判所法三条一項)から、行政庁のした特定の処分について裁判所の判断がなされた場合には、行政庁もこれに拘束されるものとされている(行政事件訴訟法三三条参照)。しかし、このことは裁判所に行政庁の権限行使に対する一般的監督権を認めたことを意味するものでないことはいうまでもない。けだし、司法作用は、行政作用の如く、一定の国家目的の積極的実現を指向して行われる作用ではなく、あくまでも具体的事件につき消極的に、何が正しい法であるかを判断する作用であり、これを行政庁の権限行使に則していえば、裁判所は行政庁のなした具体的行政処分等につき、それが違法であるか否かの判断をすることにより、間接的に違法な行政を矯正する作用、即ち判断を通して正しい法の適用を実現するに止まるものであることは、三権分立の建前からいつて当然の帰結というべきだからである。したがつて、裁判所が行政庁に一定の処分をなすべきことを命ずること自体、判断作用としての司法の本質と矛盾するものであるから許されないといわなければならない。

(2)  そうだとすれば、行政庁に一定の処分をなすべきことを求めるが如き訴えは、許さるべきではないが、仮りに許される場合があるとしても、それは、特に法律上の明文の規定が存するか、又は行政庁が一定の処分をなすべきことが二義を許さない程度に法律上覊束されていることから、裁判所が行政庁に一定の処分をなすべきことを命じたとしても、何ら裁判所による行政庁の第一次的判断権の侵害ないし干渉とはならず、しかも、違法な行政権の行使により、回復し難い損害を蒙る危険が明白に切迫していて、事前に義務づけ訴訟による救済を認めるのでなければ、他のいかなる方法をもつても救済することが不可能である場合に限り、極めて例外的に許されるものと解するのが相当である。

(3)  これを本件についていえば、次の通りである。

(イ) 本件訴は、被控訴人が、船員保険の被保険者であつた亡満に対する徳島県知事の標準報酬の決定が違法であることを理由にして、遺族年金給付裁定権者である控訴人のなした本件遺族年金給付裁定の取消を求めているものであるところ、亡満に対する本件標準報酬の決定は、既に確定しているし、また、その他前述の理由により、被控訴人は、本件標準報酬の決定の違法を理由にして、控訴人のなした本件遺族年金給付の裁定の違法を主張することはできないのである。よつて、被控訴人主張の本件義務づけ訴訟は不適法であつて許されないのである。

(ロ) 次に、控訴人は、亡黒瀬満の海難事故による死亡に伴い、その配偶者である被控訴人から、船員保険遺族年金裁定請求書が提出されたことにより、同人につき遺族年金受給資格の有無および遺族年金支給要件を充足しているか否かにつき審査を遂げたうえ、法五〇条三号、同五〇条の二第一項三号、同条二項、同二四条の二に基づき、遺族年金額を三〇万六八七四円と裁定したものである。しかして、控訴人がなした本件遺族年金給付の裁定をするに当つては、法五〇条三号、同五〇条の二第一項三号、同条二項、同二四条の二の各規定に明らかな如く、最終標準報酬月額、平均標準報酬月額、被保険者期間等を基準として機械的に算出されることになるから、そこに裁定権者たる控訴人の裁量が働く余地は全くなく、標準報酬の決定権者である(法四条二項)徳島県知事のなした標準報酬の決定に完全に覊束され、控訴人には知事のなした標準報酬の決定を変更する権限さえ有しない、しかし、このことのみが裁判所による行政庁の権限行使への介入を是認する論拠となるものでないことは三権分立の制度の建前および司法作用の本質からいつても明らかである。ところで本件においては、控訴人から被控訴人を受給権者とする遺族年金額三〇万六八七四円の給付裁定がなされ、その後数次にわたる改定により、被控訴人に対する現在の遺族年金額は七九万七二四〇円(昭和五〇年八月の改訂)となつているが、被控訴人は、右遺族年金支給開始期より現在に至るまでの間、阿波銀行福島支店の被控訴人名義の口座に年四回に分割(毎年二月、五月、八月、一一月)しての振込み方法による支給遺族年金を全額受領ずみである(直近受領日は昭和五〇年一一月一日)。

したがつて、遺族年金給付裁定処分をめぐる争訟中であることを理由に、年金支給を現に停止され、又は停止されるおそれがあるとでもいうが如き事情が存するのであれば格別、右の如く、被控訴人は、現在に至るまでの間、さきになされた給付裁定にかかる遺族年金を何らの障害なく全額受領し続けており、また将来に亘つても、何ら支障なく受領し続けられるのである。しかも現行法制度上、争訟中の支給停止なる制度も存しないから、将来においてもそのことを理由として、年金の支給を受けられなくなるおそれは全くない。

そうであるとすれば、被控訴人に回復し難い損害が発生する危険があるとは到底いい難いし、また、裁判所が、行政庁の権限行使に敢えて介入してまで、被控訴人に附帯控訴の趣旨記載の作為を命じなければならない緊急性が認められないことは明らかである。したがつて、本件の場合、例外的に義務づけ訴訟の認められる場合に該らないことまた明白といわなければならない。

(3)  仮りにしからずとするも、控訴人のなした本件遺族年金給付裁定処分については、右処分取消しの訴え、つまり本件訴えが提起され、現に第二審に係属中であつて、当該処分が違法か否かの点につき事後的な司法審査が開始されており、しかも右訴えについてなされた判決の効力は当事者たる行政庁のみならず、他の関係行政庁をも拘束するものとされているのである(行訴法三三条一項)。したがつて、義務づけ訴訟が例外的に許され、且つ本件の場合例外的に認められる義務づけ訴訟の要件をすべて充足しているものと仮定したとしても、具体的に或る行政処分がなされ、当該処分について事後的な司法審査が開始した以上、当該処分と同一目的を有する新たな処分を行政庁に積極的になさしめることを求める訴えは、司法の本質および権力分立の建前からいつても許さるべきではないと解するのが相当である。

(4)  よつて、以上いずれにしても、被控訴人主張の義務づけ訴訟は不適法というべきであるから、本件附帯控訴は理由がない。

(控訴人の右主張に対する被控訴人の答弁)

控訴人の右二、三の主張は争う。

(証拠関係)〈略〉

理由

一当裁判所も、控訴人が被控訴人に対し、昭和四五年五月一日付でなした金三〇万六八七四円の遺族年金を、支給する旨の本件裁定処分の取消を求める被控訴人の本訴請求は、正当であると認定判断をするものであつて、その理由は、次に附加訂正する外は、原判決理由第一(原判決一三枚目表二行目から同二七枚目表一一行目まで)に記載の通りであるから、これを引用する。

原判決一七枚目表六行目に、「消滅していない限り、右」とある部分を削り、同所に、「存続し得べかりし期間中は、右不服」と挿入し、同七行目の「承継」とあるを「有」と訂正し、同八行目から九行目にかけて、「保険法上被保険者の承継人ともいうべく、実際上も」とある部分を削る。

〈証拠判断省略〉

二(1)  控訴人は、当審でも、徳島県知事が法(船員保険法、但し、昭和四五年法律第七二号による改正前のもの、以下同じ)四条に基づいてなした亡満(被控訴人の夫)の標準報酬の決定に対し、被控訴人が不服申立をすることができないとし、これを理由にして、被控訴人には、本件裁定処分の取消を求める原告適格がなく、本件訴は不適法である、との主張をしている。

しかしながら、被控訴人が本訴で取消を求めている裁定処分(本件処分)は、控訴人が直接被控訴人に対してなしたものであるところ、被控訴人の主張によれば、本件処分によつて被控訴人に支給されることになる遺族年金の額が、法律上当然に支給さるべき額に比し、不当に低廉であるというにあつて、被控訴人は、本件処分によつてその権利を不当に侵害されたというにあるから、被控訴人には、本件処分の取消を求める法律上の利益があるのであつて、その取消を求める訴の原告適格を有するものというべきである。そして控訴人が、被控訴人にはその不服申立権がないと主張する徳島県知事のなした亡満の標準報酬の決定に対する違法は、本訴においては、被控訴人の取消を求める本件処分の一違法事由として主張されているに過ぎないことは被控訴人の主張自体に照らして明らかである。したがつて、右標準報酬の決定に対する不服申立権の存否、すなわち、本訴で右決定に対する違法を主張し得るか否かの点は、本件処分の違法を主張してその取消を求める被控訴人の請求の当否(すなわち理由の有無)を判断する前提問題に過ぎないのであつて、被控訴人に、本件処分の取消を求める法律上の利益の有無、すなわち、その原告適格があるか否かを判断するについては全く無関係のことであるから、本件訴が不適法であるとの控訴人の主張は、既にこの点において失当である。

(2)  のみならず、本件では、以下に述べる通り、被控訴人は、徳島県知事のなした亡満の標準報酬の決定の違法を主張し、これを理由にして、本件裁定処分の違法をも主張し得るものというべきであつて、これに反する控訴人の主張はすべて失当である。

(イ) 被保険者又は被保険者たりし者が業務上の事由により死亡した場合に、控訴人の社会保険庁長官のなす遺族年金の支給に関する裁定処分については、その受給権者である遺族が右処分の違法を主張してその取消を求めることのできることは、前述の通りであるところ、右の場合に支給される遺族年金の額は、主として被保険者の最終標準報酬の月額を基準として算出されるものであるから(法五〇条の二、一項三号)、右最終標準報酬の月額が異なればその遺族年金の額も当然に異なることになるし、また、法六三条四項は、「被保険者の資格又は標準報酬に関する処分が確定したときは、その処分についての不服を、当該処分に基づく保険給付に関する処分についての不服の理由とすることはできない。」との旨規定しているところからすれば、標準報酬の決定が確定していないときは、これに対する不服を、保険給付の処分についての不服の理由とすることができるものと解すべきである。してみれば、遺族年金の受給権者は、被保険者の標準報酬の決定が確定していないときは、知事のなした右標準報酬の決定の違法を主張し、これを理由にして、控訴人社会保険庁長官のなした遺族年金についての裁定処分も違法であると主張してその取消を求めることができるものと解すべきである。これを本件についてみるに、被控訴人の亡夫満が業務上の事由により死亡したため、被控訴人にその遺族年金受給権があることはさきに認定した通りであるから(原判決理由第一の一(2)参照)、徳島県知事のなした亡満の標準報酬の決定が確定していない限り、被控訴人は、右決定の違法を主張し、これを理由にして、遺族年金についての本件処分の違法を主張することができるものというべきである。控訴人は、標準報酬の決定については、被保険者の遺族は、その反射的利益を受けるに過ぎないと主張しているが、前記の如く、法五〇条の二、三項による遺族年金の額は、主として標準報酬の月額を基準として算出されるものであるから、その遺族年金の受給権者は、右標準報酬の決定について法律上直接の利害関係があるものというべきである。また、控訴人は、標準報酬の決定は知事の専権に属し、控訴人の社会保険庁長官にはこれを取消又は変更する権限はないから控訴人のなした本件処分には何等の違法もないと主張しているところ、成程法律上は、知事のなした標準報酬の決定に不服のあるものは、社会保険審査官に対し審査請求をなし、その決定に不服のある者は、社会保険審査会に対し再審査請求をすることができることにはなつている(法六三条一項参照)。しかしながら、前記の如く、標準報酬の決定が確定していない場合には、社会保険庁長官のなした遺族年金の給付に関する裁定処分の違法事由として、右標準報酬の決定についての違法を主張し得るのであるから、右の如く標準報酬の決定が確定していないときには、遺族年金の給付に関する裁定処分をするに当り社会保険庁長官は、知事のなした標準報酬の決定に必ずしも拘束されるものではなく、客観的に正当と認められる最終標準報酬に従つて遺族年金の額を裁定すべきであると解するのが相当であるし、仮りにそうでないとしても、右裁定処分の取消を求める訴訟においては、遺族年金の受給権者は、知事のなした標準報酬の決定の違法を主張し、これについて裁判所の判断を求め得るものと解すべきである。してみれば、未確定の標準報酬の決定が違法である場合には、これを基準にしてなされた遺族年金の給付に関する裁定処分も違法となることがあるというべきであるから、右の点に関する控訴人の主張は失当である。

(ロ)  次に、控訴人は、徳島県知事のなした亡満の本件標準報酬の決定は確定していると主張しているので、この点について判断する。

法四条による知事の標準報酬の決定に対する不服申立は、不服申立権者が右決定のあつたことを知つた日の翌日から六〇日以内にしなければならず、また、右決定のあつたことを知らない場合でも、右決定のあつた日の翌日から起算して二年を経過したときは、その不服申立をすることはできないから(社会保険審査官及び社会保険審査会法四条参照)、右標準報酬の決定は、これに対する不服申立がないときは、その不服申立権者が右決定のあつた日の翌日から六〇日、又は、右決定のあつたことを知らなかつたときでも、右決定のあつた日の翌日から満二年を経過することによつて確定するものというべきである。しかして、右標準報酬の決定に対する不服申立権者は原則として船舶所有者と被保険者である船員であると解すべきであるが、被保険者が右決定の確定前に業務上の事由により死亡した場合には、その死亡を理由とする遺族年金の受給権者がその不服申立権を取得するものと解すべく、かつ、その不服申立をなし得る期間は、被保険者が標準報酬の決定のあつたことを知つた日の翌日から六〇日以内、又は、右決定のあつたことを知らなかつたときは、右決定のあつた日の翌日から二年以内(但し、遺族年金の受給権者が右決定のあつたことを知つたときは、その日の翌日から六〇日以内)と解するのが相当である。けだし被保険者が業務上の理由により死亡した場合に、その遺族の受け得る遺族年金の受給権は、当該受給権者の固有の権利と解すべきところ、前述の通り、被保険者の最終標準報酬の月額は、その遺族の受け得る遺族年金の額に影響を及ぼすものであるから、右遺族年金の受給権者の権利保護のためには、受給権者に標準報酬の決定に対する不服申立権を認める必要があるというべきであるし、また他方、標準報酬の決定に対する不服申立期間を前記のように短期間に限り、長期間これを不確定な状態におくことを避けようとした法の趣旨に照らして考えれば、被保険者が死亡した場合における遺族年金の受給権者の不服申立期間は、被保険者が死亡するまでの期間を合算して、前記社会保険審査官及び社会保険審査会法四条の期間を超えないものと解するのが相当であるからである。

これを本件についてみるに、〈証拠〉によれば、亡満の雇主(船舶所有者)である訴外四宮勲は、昭和四四年一一月六日、徳島県知事に亡満の資格取得届を提出したところ、徳島県知事は、その頃亡満の標準報酬の月額を金五万二〇〇〇円と決定し、その翌日頃、これを右四宮勲に通知したことが認められる。しかしながら、本件における全証拠によるも、右四宮勲が亡満に右標準報酬の決定を知らせたことを認めることができず、また、その他の方法により、亡満が生前に右決定のあつたことを知つたことを認め得る証拠はない。してみれば、亡満の標準報酬の決定は、被控訴人がこれを知つたときから六〇日又は、昭和四四年一一月七日頃から満二年を経過することによつて確定するものというべきところ、〈証拠〉によれば、被控訴人は、その夫の亡満が業務上の事由により昭和四四年一二月一九日死亡したので、昭和四五年一月一三日、控訴人に対し、遺族年金の支給を請求したところ、控訴人は、昭和四五年五月一五日付で、亡満の最終標準報酬月額は金五万二〇〇〇円であるとし、金三〇万六八七四円の遺族年金を支給する旨の裁定(処分)をしたことこれに対し、被控訴人は、昭和四五年六月一八日、亡満の標準報酬の月額は金五万二〇〇〇円ではなく金八万五〇〇〇円であるとし、これを不服の理由として、控訴人のなした前記本件処分に対し、審査請求をしたが、これを棄却されたので、さらに同年一一月二一日再審査の請求をし、これも棄却されたので、本訴に及んだこと、なお、被控訴人が亡満の最終月額が金五万二〇〇〇円と決定されたことを知つたのは、控訴人から本件裁定処分の通知を受けたときであること、以上の如き事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば、被控訴人は、亡満の最終標準報酬の決定が確定する以前に、右決定は違法であるとし、これを理由にして、控訴人のなした本件処分に対する不服申立をしたものであるから、結局、標準報酬の決定は未だ確定していないものというべきであつて、本件処分の取消を求める本訴で、被控訴人は、右標準報酬の決定の違法を主張できるものというべきである、

(ハ)  次に、控訴人は、亡満は訴外四宮勲が自己の報酬月額を金五万円として徳島県知事に届出ることについて同意をしているから、その後亡満の遺族である被控訴人が遺族年金を受ける段階になつて、右届出の報酬月額を基準としてなされた知事の標準報酬の決定の違法を主張することは、信義則に反して許されないと主張しているので判断する。

まず、被控訴人は、控訴人は右信義則違反の主張を当初原審でしながら、その後これを撤回し、当審で再び右主張をしたのであるから、控訴人の右主張は、訴訟法上の信義則に反し、時機に遅れた攻撃防禦方法であるから却下さるべきである、との主張をしているが、民事訴訟で、当事者が当初一定の主張をしながらその後これを撤回し、さらに再び同一の主張をしたからといつて、そのことのみから右攻撃防禦方法の提出の仕方が民事訴訟法上の信義則に反するものとは解し難いし、また、控訴人の右信義則違反の主張が当審でなされたからといつて、そのために新たに証拠調を要するものでないことは記録に照らして明らかであつて、これがために特に訴訟が遅延するものではない。よつて、右被控訴人の主張は失当である。

そこで、次に、徳島県知事のなした本件標準報酬の決定が違法であるとの被控訴人の主張が信義則に反して許されないものであるか否かについて判断する。被保険者(船員)の標準報酬は、被保険者の資格を取得した者があるときに知事がこれを定めるものであつて、右標準報酬は、被保険者の報酬月額を基準にし、法四条一項の所定の区分によつて定められるものであるから(法四条参照)、被保険者の報酬月額が確定されれば、標準報酬は法律上当然に定まる関係にあるところ、本件において、亡満の標準報酬の決定がなされるに至つた経過についてみるに、〈証拠〉によれば、次の如き事実が認められる、すなわち、船舶所有者は、その使用する船員で被保険者の資格を取得した者があるときは、右資格取得の事実やその報酬月額を知事に届出ることになつているが(法二一条の二)、船舶所有者は、その使用している被保険者の保険料の一部を負担しなければならず(法六〇条参照)、場合によつては、被保険者との契約により、被保険者の負担すべき保険料も船舶所有者において負担することもあつたところなどから、徳島県における零細な海運業者である小型船舶の所有者は、被保険者に現実に支払つている報酬月額よりも低額な額をその報酬月額として届出る例が多かつたこと、一方徳島県知事の方では、被保険者の資格取得に関する届出が現実には相当多数であるため、被保険者の支給を受けている実際の報酬月額をいちいち調査して確かめることは現実の問題として困難であるばかりでなく、小型機帆船の所有者の多くは、雇員の報酬の支払いに関する帳簿その他の資料を整備していないため、その調査をしても、被保険者の正確な報酬月額を確認し難い状況にあるところから、徳島県で定めたモデル賃金額を下廻る報酌金額が届けられたときなどを除いて、ほとんどの場合、船舶所有者から届けられた被保険者の報酬月額を実際の報酬月額と認め、これを基準にして、法四条一項の区分によりその標準報酬を決定していること、そして本件においても、前記四宮勲は、亡満の負担すべき保険料も自己において負担することにしていたところなどから、亡満の承諾を得て、同人の報酬月額を金五万円として徳島県知事に届けたところ、徳島県知事は、これに対し格別の調査をすることなく、右届けられた報酌月額を基準として、亡満の標準報酬を月額金五万二〇〇〇円と決定したこと、以上の如き事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。ところで元来、標準報酬の前提となる被保険者の実際の正しい報酬月額については、知事においてこれを調査認定し確定すべきであつて、知事は、船舶所有者から届けられた被保険者の報酬月額に拘束されるものでないと解すべきであるから、知事において、右届出にかかる報酬月額が正確なものでないことに疑念があれば、進んでその調査をし、届出の報酬月額と実際の報酬月額とが異なる場合には、実際の正しい報酬月額を基準として標準報酬を決定すべきものであると解すべきであるし、また、被保険者が、雇主である船舶所有者の求めにより、自己の報酬月額を実際の正しい額よりも低額なものとして知事に届出ることを承諾し、かつ、これに基づいて船舶所有者が右合意による低額な額を被保険者の報酬月額として届出た場合であつても、右被保険者のなした承諾は、強行法規である船員保険法に違反するものであつて、当然無効と解するのが相当であるし、仮りにそうでないとしても、右承諾は、一般の私法上の契約等とは異なり、何時でも取消又は撤回ができるものと解すべきであるから、被保険者は、一旦右承諾をした後でも、船舶所有者に実際の正しい報酬月額を届出るように求めることができるし、さらに、知事が既に右届出にかかる報酬月額を基準として標準報酬を決定した後でも、それが確定するまでは、実際の正しい報酬月額を主張して、右決定の取消又は変更を求めるものと解すべきである。そうだとすれば、四宮勲が、亡満との合意により、徳島県知事に対し、亡満の報酬月額を金五万円として届出たからといつて、その後満ないしその遺族である被控訴人が亡満の実際の正しい報酬月額は金五万円ではなく、それ以上の金八万五〇〇〇円と主張し、知事のなした標準報酬の決定の違法を主張することは何等信義則に反するものではないと解するのが相当である。

もつとも、控訴人は、右のように解すると、被保険者等は、保険金支払の関係では実際の報酬月額を基準にして負担すべき保険料よりも低額な保険料を支払いながら、保険給付を受ける関係では、保険料算定の基稍礎となつた報酬よりも高額の報酬を基準として算定したものを受け得ることになつて不合理であると主張するが、保険給付を決定する段階で、標準報酬の決定が確定していない場合には、標準報酬の決定の適否を争うことができるし、また、その結果、右標準報酬の決定の基礎となつた被保険者の報酬月額が実際の正しい報酬月額よりも低額であつて、標準報酬の決定が不当であることが明らかとなつたときは、そのときに従前の標準報酬の決定を取消変更すると共に、実際の報酬月額を基準として徴収すべき保険料と従前支払われていた保険料との差額を改めて徴収し得るものと解すべきであるから、前述のように解しても、控訴人主張の如き不合理はないというべきである。

(3)  してみれば、被控訴人には、本件処分の取消を求める原告適格がなく、右取消を求める訴は不適法であり、また、本件処分の取消を求める本件訴訟において、徳島県知事のなした亡満の標準報酬の決定の違法を主張することはできないとの点に関する控訴人の主張はすべて失当である。

三(亡満の報酬月額について)

次に、控訴人は、当審でも、亡満の実際の報酬月額が金八万五〇〇〇円であつたことを極力争つているところ、控訴人は、原審で当初、右亡満の報酬月額が被控訴人主張の通り金八万五〇〇〇円であることを認める旨の自白をしたが、その後原審の第八回口頭弁論期日で右自白を撤回する旨の陳述をしたことは当事者間に争いがない(このことは本件記録上も明らかである)。被控訴人は、原審の第八回口頭弁論期日で直ちに控訴人の右自白の撤回に異議がある旨述べたと主張するが、本件記録によれば、原審の第八回口頭弁論調書には、被控訴人が右自白の撤回に異議を述べた旨の記載は何等ないから、他に特段の反証のない本件においては、被控訴人は、右異議を述べなかつたものと認むべきである。しかして、記録によれば、その後被控訴人は、原審口頭弁論の終結された第一一回口頭弁論期日までに、右異議を記載した準備書面等を提出したこともなければ、現実に、原審の口頭弁論期日で右異議を述べたことのないことが認められるから、原審で右自白の撤回に異議を述べたとの被控訴人の主張は失当である。してみれば、被控訴人は、原審で右自白の撤回に異議を述べなかつたことにより、暗黙のうちに右自白の撤回に同意したものというべきであつて、これにより、控訴人のなした右自白は適法に撤回されたものというべきである。そして、一旦有効になされた自白の撤回につき、相手方がさらに異議を述べても、これによつてさきになされた自白の撤回が許されないものとなるわけではないから、当審で被控訴人が右自白の撤回に異議を述べても、これによつて、控訴人が原審でなした前記自白の撤回が許されないものとなるものではない。よつて、控訴人のなした前記自白の撤回は許されないとの被控訴人の主張は失当であつて、亡満の報酬月額については、当事者間に争いがあるものとして、証拠によつて認定すべきである。

ところで、原判決理由第一の二2の冒頭(原判決二〇枚目表二行目以下)に掲記の各証拠によれば、亡満の報酬月額は、前記認定の通り(原判決理由第一の二2参照)、金八万五〇〇〇円であることが認められる。控訴人は、当審で種々の事情等をあげ、亡満の報酬月額を金八万五〇〇〇円と認定することは、証拠上及び経験則上極めて不合理であるとの主張をしているが、控訴人主張の如き事情があるからといつて、亡満の報酬月額を金八万五〇〇〇円と認定することが妨げられるものではないから、右事実認定に関する控訴人の主張はいずれも採用し難く、失当である。

しかして、亡満の最終標準月額金五万二〇〇〇円は、亡満の報酬月額を金五万円として決定されたものであることはさきに認定した通りであつて、亡満の報酬月額が金八万五〇〇〇円であるときにはその標準報酬月額は金八万六〇〇〇円と決定さるべきであるから(法四条一項参照)、亡満の最終標準月額が金五万二〇〇〇円であるとしてなされた本件裁定処分は違法であつて取消さるべきである。

四次に、被控訴人は控訴人に対し、「控訴人は被控訴人に対し、遺族年金支給開始年月日たる昭和四五年一月現在における支給すべき年金額を金四九万六六〇〇円と決定しなければならない。」との請求をし、本件ではいわゆる行政庁に特定内容の行政処分をなすべきことを命ずる訴えも許さるべきであると主張しているので、この点について判断する。

行政庁がある処分をする義務があるのにその処分をしない場合において、行政事件訴訟法三条五項にいわゆる「不作為の違法確認の訴え」の外に、直接行政庁に作為、不作為を命ずるいわゆる給付の訴えを認めることは、一般的には、三権分立の制度上当然守るべき司法権の限界を逸脱し、実質的には裁判所が行政庁に代つて自ら行政処分をすることになるから、許されないものと解すべきである。ただ、行政庁がある行政処分をなすべきこと、或は、なすべからざることを法律上覊束されていて裁量余地がなく、しかも、その処分の性質上右法律に基づく行政庁の行政処分をまつて、事後的に司法審査を受けるという手続をとる必要性に乏しく、しかも行政庁の行政処分を待つていては多大の損害を蒙る虞れがある場合に限つて、極めて、例外的に、行政庁に行為もしくは不行為を命ずる給付の課えを提起することが許されるものと解すべきである。これを本件についてみるに、控訴人は、被控訴人から本件遺族年金の支給についての請求に対し、これを放置してその裁定義務を怠つていたものではないことは、弁論の全趣旨から明らかである。そして、法五〇条、五〇条の二等によれば、被保険者又は被保険者であつた者が職務上の事由により死亡したときの遺族の受くべき遺族年金の額は、被保険者の最終標準報酬月額、その被保険者であつた期間等が確定されれば、法律上これを基準にして算出し得ることになつており、右額の決定については、法律上覊束されているけれども、その受給権者の範囲、資格、遺族年金にかかる加給の有無、遺族年金を支給するについての障害事由の有無等遺族年金支給の裁定については、種々の要件を審査しなければならず、また、原審証人相沢行男の証言によれば、右審査に必要な被保険者に関する記録の原簿は、社会保険庁においてこれを備付け保管をしていることが認められるから、本件遺族年金の支給に関する裁定処分は、その性費上まず控訴人の社会保険庁長官がすることとし、しかる後に、これに不服のあるものの訴提起をまつて、裁判所がその適否を事後的に審査することとするのが相当であると解すべきである。

したがつて、控訴人に対し、前述の如き内容の具体的な行政処分を求める被控訴人の訴えは許されないものというべく、右訴えは不適法として却下すべきである。

五よつて、本件処分の取消を求める被控訴人の請求を認容し、控訴人に対し、前記内容の裁定処分を求める訴えを却下した原判決は結局相当であつて、本件控訴及び附帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、控訴費用及び附帯控訴費用につき民訴九五条八九条を適用して主文の通り判決する。

(秋山正雄 後藤勇 古市清)

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